足つぼの歴史

フットプラーナのさかたゆうこです。

台湾式足つぼは、1970年代にスイス人の宣教師ジョセフ神父(呉若石)が台湾で西洋式のリフレクソロジーを台湾人に合うようにアレンジしたものから生まれました。

今では台湾式足つぼは中国、シンガポール、日本など世界に広がっています。
そもそも足つぼってどこから始まったのでしょうか?今日は足つぼの歴史についてご紹介したいと思います。

 

【古代エジプト】

紀元前2230年頃にはエジプトにリフレクソロジーの原型が存在していました。
エジプトのサッカラで発見された当時の医師だった「アンクオマールの墓」の壁画に手と足を揉んでいる様子の絵が描かれています。

絵の背景には、当時の医療器具なども描かれており、古代文字を訳すると「痛くしないでくださいね」「もう少ししたら楽になりますよ」と書かれているそうです。

足や手を揉むという行為は医療としてすでに行われていたのですね。当時でも痛かったんだと思うと面白いです。ちなみに古代エジプトの医師はヒーラーでもあったそうです。

 

【古代インド】

古代インドではアーユルヴェーダのひとつとして発生し、人間の身体は小宇宙という考えがあり、ブッダの足の裏には宇宙を表す太陽や月などが描かれています。5000年前の中国の文献では足の裏を刺激している様子が描かれている古代インドの壁画を紹介しています。

 

【古代中国】

紀元前206年、中医学の原点である「皇帝内径」の中に足を診て症状がわかるという「観趾法」が文献として初めて登場します。

その後の唐の時代には皇帝のための治療法として手や足を按摩していました。この療法は門外不出のものだったそうです。

 

【古代ネイティブアメリカン】

昔からアメリカ大陸に住んでいた、ネイティブアメリカンは自然と共に生きてきました。

「足は大地とそこを流れるエネルギーとわれわれの接点である」
という考えがあり、リフレクソロジーという言葉を知らなくても、足裏と臓器の関係を解っていて、胃の調子が悪ければ土踏まずなどを揉んでいました。

現在でも伝統的な生活をしているホピ族では胃が痛くなったり、出産の時には足を揉むそうです。

 

【古代ヨーたロッパ】

イエス・キリストが弟子たちの足を自らの手で洗い、教えを説いている絵が残っています。

 

 

このように世界では足を揉む、尊いものとした発想は自然発生であり、人間にとって足は神聖で重要な場所という認識があるのだと思います。

 

ここから現代の足つぼへの繋がりは、19世紀の中国から始まります。

 

【中国 漢の時代】

三国時代の 「魏」の曹操に使えた伝説的な医師「華佗(かだ)」が足裏と臓器の相対関係を「足心道」としてまとめる。

 

【980年 平安時代】

日本で最初の医学書「医心方」に足心道として足裏への按摩も書かれていました。

 

【中国 清の時代】

中国はアヘン戦争でイギリスに敗れ、門外不出だった宮中の文献などが欧米諸国に持って行かれます。

 

【1910年代アメリカ】

アメリカ人のフィッツゲラルド医師が東洋医学の効果を確かめるために、入院患者数千人に対して足裏に刺激を与え始め、その効果を欧米の医師会で人間の身体を縦に10等分に分けた理論を「ゾーンセラピー」として発表します。その考えをもとにイングハム女史「リフレクソロジー」として世間に広めました。

 

 

【1970年代 台湾】

台湾に居たスイス人の宣教師ジョセフ神父が、毎日体調の悪い地元の人にリフレクソロジーをしてあげていて、それを台湾の人に合うように強めの押し方にアレンジしたのが「台湾式リフレクソロジー(足つぼ)」となって世界に広がりました。

 

どうでしょう、足つぼの歴史はみんなが足を揉むと気持ちいいという考えから来ているのがおもしろいですね。

でも、中国では今でも足つぼを知らないという人が多いです。それはなぜか?
中国では鍼や気功などの治療は庶民に広がりましたが、足裏を刺激する治療は宮中で皇帝の専門医だけが行える門外不出のものだったので庶民には広がらなかったからなんだそうですよ。
本日も最後までお読み頂きありがとうございました(^^)

 

まとめ

足を揉むという行為は自然発生だった。

・足は重要で神聖な場所という考えが昔からあった

・紀元前200年前には中国の医師「華佗」が足裏と臓器の相対関係をまとめていた。

・アメリカの医師フィッツゲラルド医師が東洋医学を検証し「ゾーンセラピー」を考えた。

・イングハム女史が「リフレクソロジー」として一般に広めた。

・台湾式足つぼはスイス人のジョセフ神父が逆輸入という形で紹介して広めた。